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2012年1月アーカイブ

2012年1月23日

ジェイミーの決断

 

 日本的丸坊主というのは、どこか抵抗感があるようですが、オーストラリア人スタッフのジェイミーが「丸坊主になる!」ということで、皆にその模様を公開しました。

  丸坊主では先輩格のドイツ人スタッフ・ロニーが電気バリカンを持参、相撲の断髪式風にやりました。お薬をつけるために必要に迫られての丸坊主だったのですが、皆、その模様に大喜びでした。

  ただ、丸坊主の後は、サッカーのベッカムのようで、けっこう恰好いい。そうだなぁ、高校野球児みたいだったら、もっと良かったのに...。(Z)

投稿者:W・I・N・G 路をはこぶ 日時15:48 | パーマリンク

2012年1月17日

逝くこと

 阪神大震災から17年。「その教訓を私たちは今に伝え、生かす責務を負っています」と話すテレビの若いレポーターは、あの当時の混乱は知らず。ただ、東日本大震災を経て、私たちは再び震災について、集団経験を持つにいたりました。実際の経験の有無は問わず、今、私たちはほとんど全員が震災の経験を共有している心理状態となっています。

 そこには多くの死が背景としてあります。一時に多くの命が失われた、あってはならない事態。それは、今回のような震災だったり、戦争だったり。

 死の悲劇性に関する考察を読んだことがあります。社会学的側面からの考察でしたが、ほとんど記憶の彼方...。

 

 交通事故であろうと、病気であろうと、災害であろうと、戦争であろうと、死の個別性があり、その悲劇性は残された者にとっては差異はないはず。しかし、私たちは"非業"の意味などを与えて、差異を設けます。それでも、ただひらすら逝った命を考えるとき、その差異は霧散して、逝くこと自体が浮かび上がってくるように感じます。誰しもがふとした時に抱く感情...死んだら自分はどうなるのか...そこへ逝った人々...親しき家族だったり、友人だったり

 

 利用者さんが逝くこと、震災で亡くなった人々を想うこと。個別性がより鮮明となる死と、多くの死の双方を考え、その間を行き来しているうちに、私たちは逝くことについての学習をしているのでしょうか。自然に自身が逝くことを考えているような気がします。近しき利用者さんの死は、逝くことの意味を考えよと諭されているようでもあり。ふとした瞬間の寂しさや悲しさが、さまざまな思い出を浸食していきます。(Z)

 

投稿者:W・I・N・G 路をはこぶ 日時15:20 | パーマリンク

2012年1月 1日

新年です。

 新しい年を迎えました。

 

 大晦日の紅白は、震災一色。また、韓流に抗議するデモがNHK前で。テレビは「TPP亡国論」の新書片手に。いったい、どうなるの...という不安に似た感情。一方、ピンチはチャンスなどというありきたりな言葉も浮かんで...

 この閉塞感は、開戦前夜のようという物知り顔。不気味な高揚感を避け、冷静さと熱い情熱が社会にほしい。

 

 あたたかい元旦です。青い空は、静かに私たちを見ています。

 今年もどうぞよろしくお願いします。(Z)

 

投稿者:W・I・N・G 路をはこぶ 日時14:18 | パーマリンク