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2013年4月22日

召天祭

 「永遠の命」について説教を聞きました。理解はなかなか難しかったです。言わんとすることが分かったというのでは、きっと分かったことにならないでしょうから。ほんとうの理解とは信仰と同義語のはずでしょうから。

 それでも...。ヘルパー派遣先だった方、その内縁の夫、被後見人の母、妻...遺影と遺骨を預かっていただいている教会にこうして年に1回、足を運ぶことは心がやすらぐひと時です。他の遺族からのあいさつの言葉、賛美歌の合唱が続きます。遺影を見ていると、死というものへの恐れが消えて行くような気もします。

 信仰を通じた「永遠の命」。こうして故人をしのぶという意味での永遠は、ただの思い出に過ぎないのでしょう。死から逃れることのできる者などいません。その恐れを克服する平安の心持ちといったものが永遠の命なのでしょうか。では信仰はどこに?

 日常の雑事も消えてしまうことはありません。平安の心持ちがあれば、日常の雑事から解放されそうな気もします。ならば、私の平安の心持ちとは所詮、その程度のものなのでしょう。永遠の命など手に入れられるはずもありません...(Z)

投稿者:W・I・N・G 路をはこぶ 日時09:23 | パーマリンク