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2018年1月22日

朝刊

 寒さが戻ることを覚悟した月曜の朝、朝刊の「悼む」には、塩見孝也氏と星野仙一氏の二人が。おそらく接点がないであろうお二人。それでもある種の"熱"という共通項はあり、また人生において関心の領域はまったく異なったであろう二人が同時に掲載されている"妙"に感じ入りました。
 
 ページを一気に社会面までめくると、そこには西部邁氏の訃報です。学生時代、「朝まで生テレビ」をよく見ました。特に、ペレストロイカを経て、崩壊していった社会主義諸国の現状把握を左派と議論する様子を東欧を旅したばかりの私はある種の興奮をもって聞いていました。

 当時私には社会主義思想に対する憧れがある一方で、その非人道性が思想の行きつく先として指摘される「限界」に対して、そうかも知れないとの思いもあり、その現実を見てみようと中国、ソ連を経て、東欧各国を旅したのでした。

 そんなことを考えながら運動面に戻ると、卓球の張本選手、伊藤選手の快挙が。オリンピックが近づく冬のスポーツにも十代の活躍が紙面を踊ります。その躍動感を前に"思想"といったものは色あせるかのようです。

 すべてが混然一体となった社会。そのなかに私たちは生きています。現在(いま)がすべてだと言えばそうだろうと思います。しかし、人の思いの変遷を知れば、その現在もまた移ろいやすく、確固たるものなど何もないのだろうとも思います。ところが、人の思いの変遷が辿れるのは、現在がすべてのごとく駆け抜ける人々だからこそ。批判はたやすいでしょうが、批判されるまでに駆け抜ける選択をしたいと思う朝...(Z)

投稿者:W・I・N・G 路をはこぶ 日時09:46 | パーマリンク