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2019年1月17日

阪神大震災から24年...

 阪神大震災から24年。
 
 5時46分、激しい揺れでした。神戸に住んでおり、震度7強を経験しました。
 すぐに職場に駆け付けたものの、街の様子は想像を絶するもの。高速道路は橋脚ごと倒壊。多くのビルが中途階でつぶれていました。道路に横たわる遺体を見ながら街を歩きました。

 世界で初めての都市直下型地震。以後、防災が強く叫ばれるようになりました。しかし、なかなか指摘できないのが人の感情の問題です。

 行政や企業、ボランティアなどさまざまな形の支援のあり方は構築されてつつありますが、支援・応援時に対応する現地の人間は被災者でもあります。「もっと的確な指示を」「なぜそんな判断をするのか」・・・応援者からの声が次々と胸に刺さります。通常の業務・生活を再開、維持することに加え、災害による新たな対応に追われ、忙殺されます。それを支援するはずの応援者からの声だからです。

 さらに、同じ被災者からの声。同じ被災者でありながら、行動上は"支援者"と"被支援者"に分かれ、"被支援者"のなかには"支援者"に容赦ない非難の声をあびせる方もいます。避難所で、ボランティア団体で、マンションの管理組合で、そして様々な組織内で。被災している支援者は時間とともに神経をすり減らしていきます。

 この問題に解決の方法はあるのでしょうか。言うは易く行うは難し。これは人がいる以上、永遠のテーマ。

 もちろんこれは自然災害時に限りません。平常時にも常に発生していること。ただ大災害時には顕著となるだけなのでしょう。
 
 判断、行動する人間と、その行動に従う一方で、その行動を非難する人間との分水嶺は何でしょうか。ただ肩書ではなく、個人の資質でもなく、そこに深淵な人間の感情の問題が隠されているような気がします。

 あれから24年。その時間を経ても、次の災害時にもその感情の問題は発生するでしょう。
 解決にほど遠くともその覚悟、自覚を。防災体制以上に覚悟が必要な感情の問題を改めて思い起こした1月17日。(Z)

投稿者:W・I・N・G 路をはこぶ 日時11:58 | パーマリンク

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