2014年1月17日
19年...
確かに家の中は少し散らかりましたが、家族は無事。すぐに津波を想像して、建物の上に上がろうとしたら、ラジオからは「津波の心配はありません」。水をためようと、お風呂に栓をひねると、赤サビが...。封鎖される前の神戸大橋を車で飛ばして職場へ。街にはまだ遺体がそのまま転がっていました。
神戸市政の担当でした。パイプ椅子の上で寝ました。小さな建物にある無認可作業所の被害、障害者への被害は甚大だろうと、いち早く報道しました。仮設住宅などの報道もかなりがんばったつもりです。都市計画では市政批判も行いました。携帯電話は復旧しておらず、避難した家族との再会もずいぶんと後のことでした。
それぞれの仕事に意味はあり、それぞれの本分を存分に発揮することで社会が良き方向へ動き出す。それでも...。
ガレキ一つ拾ったわけでなく、被災者に弁当一つ届けたのでもなく。自身の仕事に意味はあるのか。そんなことがぼんやりと頭をかすめながらの日々だったように記憶しています。
駄目だと分かっていながら、見過ごす行為が大きな影響をもたらしました。倒壊した建物や高速のコンクリートからは工事で出たゴミが混じっていました。ただ私にはそれが批判できませんでした。ほとんどの人々が自身の職場で手を抜く場面があるでしょう。それが平時は暴露されないだけ。地震という場面だから「建築・土木」だった。「めんどくさい」「わかっているけど...」「私の責任じゃないし」。誰もが潜ませる"誘惑"。甘い香り。
あれから19年といいます。朝からその報道一色です。「防災」なのでしょうか。私は「誘惑への抗し方」なのだと思います。今の仕事も誘惑だらけです。ただ、目の前に支援が必要とする人がいる。だからその誘惑には抗したいと思います。できるはずだと信じたい。人を信じたい。(Z)
投稿者:W・I・N・G 路をはこぶ 日時10:11 | パーマリンク
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