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2014年9月13日

TDLとインフォームドコンセント

 TDL(東京ディズニーランド)で必ず聞かれた。「激しく電気が点滅しますが、大丈夫でしょうか」「乗り物が激しく揺れますが、大丈夫でしょうか」「突然大きな音がしますが、大丈夫でしょうか」...次々質問をクリアするなか、最後の最後はいつもこれだ。「乗り物が途中で停止する場合があります。その場合、ご自身の力で乗り物を降り、避難していただくことはできますでしょうか」。

 

 これじゃあ何も乗れないじゃないか。なぜその質問が最後なのか。並ぶ乗り物はことごとくこの質問に阻まれ、時間は過ぎ、夕方になった。

 もういい!

 

 楽しそうな乗り物の前、係のお兄さんが最後の質問を発した時、「はい、大丈夫です!」「......あの......、ご自身で歩いて乗り物を降りることは可能でしょうか」「はい、できます!(怒)」。意表を突かれたのか、それとも情けだったのか。彼は「では、歩いてみてください」とは言わなかった。

 

 center of the earth。その名の通り、乗り物はどんどんらせん状に地下へと下り、そしてある瞬間、急上昇して山を飛び出す!一緒に乗っていた外国人スタッフに「死んでも放すな!」

 かなりの迫力だったが、利用者さんは満足顔。満面の笑みでTDLを後にした。その夜、「おかげで楽しかった」とホテルで。普段、そのような言葉を口にしない方だけに、自身の行動の是非を考えることを放棄して喜んだ。

 

 

 その利用者さんが胃ろうを拒んだ。頑として拒んだ。スタッフが何度か話しても承知しない。彼は口から食事することにこだわった。医師は「本人が承知しないので、手術はできない」。それはそうだ。だが...。

 

 インフォームドコンセントは、医師が責任を免れるためのものではない。"十分な説明に基づく同意"そのものに責任を果たす必要がある。しかし、医師は安易に"言い訳"として使っていないか。昨今は、入院したと同時に示される用紙には、「挿管」「バイパップ」「IVH」「昇圧剤」などの文字が並び、「希望する」「しない」に○印をするようになっている。医師には本人、ご家族が希望したのだからという印籠となるのだろう。しかし、その意味を理解している患者、家族がどれだけいるのか。

 

 緊急時にそんな時間はないと言われるだろう。それでも、十分な説明はその限界まで求められるはず。まして、これまでの人生のなかで受け取る情報が極めて限られたなかで生きてきた重い障害者の方に対し、意思表示がしっかりしていることをもって、インフォームドコンセントを得られたというのは、その意味を理解していない。できうる限り、体の仕組みや現状を言葉だけでなく、絵や模型を使ってでも説明し、さらに治療の優先順位を示す、その責任は放棄すべきでない。それは、あることを"しない"という場面も含まれえるはず。

 

 このことは障害者は様々なことをきちんと理解できないから、私たちが判断してあげないと...というようなパターナリズムとは異なる。一方で、十分という説明や判断を測る基準なども存在しえないだろう。だが、そこに向かう道程にいる必要はある。私たちはそのような場面において、医師ら医療の側に対して、理解に至らしめる力、意志、知識、技術をもっているだろうか。もちえたか。

 

 

 

 火葬炉から運び出されたとき、もうすべては終わったのだという感覚...。つい数時間前、棺に花を添えるときにはあふれ出た涙ももう乾いている。それでよかったの?味わうということを捨ててしまうぐらいなら...だったの。

 白い片を箸で持とうとして、何度も落とした。なかなかつかめず、数度でやっと。

 それでほんとうによかったの?決断していれば、好きなテレビもまだまだ見れたはず。そして、TDLにも行けたじゃない。もっと乗りたいものはなかったの?その時は、「歩けます!」と今度はどの乗り物でだって言えたのに。(Z)

投稿者:W・I・N・G 路をはこぶ 日時10:57 | パーマリンク

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