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2015年12月22日

父のこと

  口論になった。虐待じゃないかと言われた。IVH、気管切開、胆管ドレナージ、導尿..."延命治療"は虐待に映ったか。

 異常だとも言われた。毎晩父の病院に泊まり、看護師と一緒にケアした。ほとんど家には帰らず、2年間体力がよく続いたと思う。しかし、長男の非難の言葉は心の奥で相当堪えた。その口論から10日ほどして父は逝った。心拍数は10060402015と徐々に落ちて、おだやかに、苦しまず、静かに、そして0...。

 

 いわゆる"延命治療"に関して、肯定的でない社会的合意が醸成されているように感じる。看護師に"もういいですよね"という表情が見える。「お父様は望まれていますかね」との医師の言葉も耳に残る。そうなのかも知れない。社会的コストという側面もあるだろう。しかし、失いたくないという気持ちとその手段は切り離されて考えられるべきなのだろうか。苦しめようとは思わないが、苦しんだのだとしても、生きてほしいという周囲の気持ちは本人の苦痛に勝ることはないのか。

 

 その数日前に父が目を開けた。「殺せ」と言ったのかも知れない。いや、「ありがとう」だったのかもしれない。わからない。はっきりしているのは、このような情景が特殊なものでなく、日本のあちこちであふれたものであるということ。本人が望まないだろうと言いながらも、もしかすると多くの人々が、自身のしんどさとの軽減と引き換えに"延命治療"を選択しないのかも知れないとも思う。

 

 ここ数日、「あぁ、帰るのは自宅。病院じゃないんだ」と改めて気付く。朝起きると、「昨夜は吸引しなかったのだ...」と睡眠の長さに気付く。そう、利用者さんを失ったご家族もきっと同様の朝を迎えられるに違いない。これまでに何人もの利用者さんを見送ったはずなのに、そのような感情を我がこととして感じることがなかったことを今更ながらに知り、恥じる。そして、ああして良かったよなぁ?と父に尋ねる。(Z

投稿者:W・I・N・G 路をはこぶ 日時22:43 | パーマリンク

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